実家相続で考えたこと
実家を売るべきか?
前回に引き続き実家のマンション問題。
もともとは両親と弟(未婚)が住んでいた駅近マンション。父が亡くなり、マンションは共有名義者だった母のものになった。しかしその母も痴呆のため施設に入り、現在マンションには弟が一人で住んでいる。
母の状況は痴呆に加え脳出血となり、病院で寝たきり状態になっている。年齢や体力等を考えても数年以内に亡くなる可能性が高い。。
こんなことを書くと不謹慎かもしれないけれど、母もすでに90歳近い。50代になると周りの友人達とも実家の話をする機会が増えてきて、人の死をを感情的でなく客観的に見るようになってきている気がする。
私には姉と弟がいる父はすでに亡くなっているので、もし母が亡くなった場合、両親の遺産は3人で分けるのが順当。
遺産と言っても地方の駅近マンションだけだけれど。貯金は介護や病院費用ですでになくなっており、母の年金と遺族年金でまかなっている状態。
そんなわけで母が亡くなると、残るのは実家のマンションだけ。
普通だったら、マンションを売ってそのお金を3人で分けるべきなんだろうけれど、「相続」という機会を利用すれば、不動産仲介手数料払ったりせずに駅近のマンション物件が手に入る。それを賃貸したらどうかと考えた。
築20年は超えているけれどマンション全体の管理状況は良好。部屋に少しリフォームを加えれば賃貸できるのではないかとひらめいた。
実家の2LDKを月10万で賃貸できれば年間120万の収入。10年間で1200万!
マンション全体の管理状況はとても良く、居住者の修繕積立金の支払い状況もまずまず問題ないと聞いている。新築時に購入した層はすでに70代、80代と高齢化しているけれど、若い世代の居住者も増えており、あと20年、30年は問題なく賃貸経営できそう。
もし今後月10万の収入があれば 年金に加えて頼れる収入源となりそうだと取らぬ狸の皮算用。
現実は甘くなかった
でも実際にマンションに来てみると、予想以上の老朽化。壁紙、床は貼替必要だろうし、お風呂とトイレ、キッチンは全面リフォームが必要。なんといってもお風呂は追炊きなし、浴室衣類乾燥機は壊れてる(ベランダでの洗濯物干しは禁止なので致命的)、お風呂の水を流すと逆流。トイレはウォシュレットなし、キッチンのガスコンロは使用できず、収納扉内は一部腐食。これだけでもリフォームしようとすれば400万かかるとみた。それから姉弟には、私一人がマンションを独り占めするわけにはいかないので、相続分相当の現金を渡す必要があるでしょう。そうなると、例えば相場が2100万なら1人あたり700万円。この700万円分の現金を2人に渡す必要があるのでなんと1400万!を相続時に用意しなければならない。
1400万で築年数は経っているけれど管理の行き届いた駅近のマンションが手に入ると思えば安いけれど、そこからリフォーム料金とかを考えると結局2000万近くはかかる。
そもそも姉弟に払う1400万はどこから出せばいいのやら。実家があるのは私の住む地域から大分離れているので、手続きのたびに飛行機に乗って行かなきゃならない・・・。これは相当の手間も必要かもしれない。
そんなことを考えると、やっぱり売った方がいいのかなあと今日も悩む。
父の死と 実家ローンの支払い
遺された家族にふりかかる 実家の現実的な問題
昨年、父が亡くなりました。85歳でした。
脳溢血で数カ月の闘病生活を続けていましたので覚悟もできていましたし、年齢も年齢でしたから「お父さん、お疲れさま。今までありがとう」という穏やかな気持ちで見送ることができました。
そして現実的な話として、私たち3人(姉、弟、私)で実家のマンションをどうしようかという話になりました。
父の遺産は借金こそなかったものの、父自身の治療代で貯金を使い切ってしまったので現金はゼロ。遺産と呼べるものは住んでいた時価2000万程のマンションのみです。そしてローンの支払い(まだローンが3年ほど残ってた!)、管理費・修繕積立金、固定資産税の支払いをどうするかという問題が出てきました。
マンションは父と母の共有名義だったため、現在は母名義となっており、母の承諾がなければ売却するこができません。しかしその母は認知症なので、売却もできません。
父死亡により、マンションの維持費とローン支払いが私達3人に残されてしまいました。
話し合いの結果は
まず支払い原資として最初に考えたのは母の年金です。母名義のマンションなので母が支払うのは当然のことというわけです。でも現実はそう甘くありません。母は痴呆に加え他の病気もあり現在入院中。年金は遺族年金も含めて15万ほどですが、母自身の入院・生活費で消えてしまいます。むしろ足りないくらいです。
次は実家マンションに住んでいる弟。独身の彼はずっと両親と同居していて、母が入院し、父が亡くなった後も実家マンションに住み続けています。そんなわけで彼が全額支払うべきなんでしょうけど、彼は多額の借金を抱える身。経営していた事業が思わしくなく事業清算時に数千万の借金を負ってしまったのです。そんな彼は貯金ゼロ。
結局、姉と私でローン残債を一括返済、弟が管理費・修繕積立金、固定資産税を支払うことになりました。ついでに相続時の面倒な手続きや母の入院先との連絡など事務的なことは弟が全てやってくれました。感謝です。
振り返ってみれば
これだけは言えます。私達姉弟の仲が良くて良かった!
コレ、仲が悪ければ大変なことになってたと思います。
私と姉がローンの残債を引き受けなかったらどうなっていたことか・・・。
両親の口座には現金ゼロ。同居していた弟も貯金ゼロで、毎月の生活で手一杯ですから、結局ローンが支払えず実家売却ってことになってたかもしれません。
よくわからないですけど母に成年後見人を立てて、売却ですかね?
この場合利益関係のある私達が後見人になるのは無理でしょうから弁護士事務所等に依頼でしょうか。手数料がものすごくかかりそうです。それに加え、マンションは安く買いたたかれ、弟は住む場所を失ってしまう・・・。わぁ、暗い未来しか見えません💦
でも私は借金を負っている弟の住む場所がなくなるようなことは嫌だったので、結構な負担にはなりましたが姉と一緒にローン残債を引き受けました。もちろんマンションを売却したあかつきには返金してもらいます。ただそれがいつになるかは全くわかりません。そんな条件を飲んで一緒にローン残債を支払った姉もきっと同じ気持ちだったのだと思います。
一方、弟は同居していたこともあり、遠方に住んでいる姉や私に代わって煩雑な事務手続きを文句も言わずにこなしています。
銀行や年金事務所への相談、病院との連絡や命に関わる様々な承諾書への署名、着替えなどの差し入れ、病院の転院時には事務手続きや付き添いなど、どうしても無理という時は私達にヘルプ要請をしますが、基本的には彼一人で行っています。母は入院する前は痴呆症状もひどく粗相したり、家からいなくなったりすることもあったと聞きますから大変だったと思います。その対処をし続けていた弟には本当に感謝です。
そして姉と私は仕事で忙しい弟に代わり、葬儀とお墓を担当。葬儀の時は姉が前面に立ち業者選定から支払いまでを請け負ってくれました。また先日、姉と一緒に納骨を済ませましたが、これには弟は全くのノータッチ。出張と重なったこともありますが、「任せるよ」と一言。聞きようによっては無責任かもしれませんが、私も姉も「OK~」と気持ちよく引き受け、田舎にあるお墓までのドライブを2人で楽しみながら納骨をしてきました。仲が悪ければこうはいきません。どこかで不満が爆発していたことでしょう。本当に仲が悪くなくてよかったです。
そうは言ってもお互い別の人間。それぞれの家族や置かれてる状況も考えも違います。小さな意見の食い違いや感情のズレはあります。これからも上手く調整しながら乗り切っていければいいなと思う今日この頃です。
リベ大に入ってみたけれど どうやら私には使いこなせないらしい
初心者でも安心して学べるお金の情報動画~リベ大
Youtubeでお金に関する動画を多数出している「両学長」が運営するリベラルアーツ大学、略してリベ大。友人に勧められた中田敦彦さんのyoutube大学の動画を見ていたら、怪しいライオン画像がおすすめ動画にアップされることが多くなり、ある日、怖いもの見たさで見てみてみました。そこには、月5万円を稼ぐ方法、初心者向けの投資、年金について、idecoについてなどお金と向き合うための思考や実践方法など、「あ~それ、知りたかった!」と思う内容がたくさん。何よりも良かったのが専門過ぎないこと。いえ、専門的な内容が多いので語弊がありますね。初心者を相手にしているところと言い直しましょう。投資だけでなく節約術や、副業の仕方・稼ぎ方などを 貯金くらいしかしていない初心者向けにもわかりやすい説明しているのです。誰もが無理なく投資や副業を始められるような、そんな内容です。リベ大動画と出会ってからはしばらくは夕食準備をしながら動画を流し、S&P500だとか、副業には何がいいかだとかそんな内容を毎日のように視聴していました。そしてある日思い切って、動画で紹介されていたお金に関する会員制の集まりであるリベシティに入会しました。
豊富なメニューとすぐに始められるコンテンツが盛りだくさん
専用ページにログインすると、投資情報だけでなく、誰もが簡単に稼げるようにと用意された会員向けのフリーマーケット、スキルマーケット、レンタルスペース、仕事情報など多数のメニューが用意されていました。目的別、地域別チャットも多数あり、そのどれもが活発に動いていて、それはもう会員皆さんの熱気のようなものを感じました。数はまだ少ないけれど会員専用スペースとしてオフィスもあり、そこで自由に仕事をしたり会員同士でコミュニケーションをとることができるようです。入会、退会は自由。はっきり言って超お得な会員制度だと思います。
ブログ作成と挫折
最初はやる気満々で入会した私。とりあえずブログ作成から始めてみました。Wordpressを使用したブログの作成方法が、画像付きで詳細に紹介されているので その通りにやってみました。プラグインでちょっとつまづきましたが、それでも子育てをメインとしたブログを2日で立ち上げることに成功。素晴らしい! なんて思っていたのですが、まあ、誰が見るわけでもなく、ブログ訪問数は1ケタ止まり。ここからSNSと連動させたり、google様の意向に沿った形に改善していくわけですが、なんか、そこで疲れちゃったんです。子供と一緒に楽しめるスポットを紹介したりしていたのですが、ブログを始める前は、そんなことを考えるだけでも楽しかったのが、いざブログに書き始めると、訪問数アップのための仕事のように思えてきて(実際そうなんだけど)、全然楽しくない。あれ?私、何のためにブログ書いてるんだっけと思い始めて。そう感じた途端、一気に書く気が失せてしまいました😅
色々試そうとは思ったけど
じゃあ、ブログは止めてセドリでも始めようかと思い、関連チャットや動画、説明文を見てみました。こちらも非常に詳しくやり方を紹介していて再現性の高いものであることがわかりました。でも、やる気が全然沸いてこない。私の売りたいものじゃなく、世間一般で売れるものをサーチしていかないといけないんですよね。興味のない商品を売りたいとも思えなくて これもダメ。
それなら不用品販売がいいかな、メルカリや会員専用のフリーマーケットを利用したらどうだろうと。これまた詳しくやり方が紹介されています。わからないことがあればそれ専用のチャットがあるので、そこで聞いてもいいし、オンラインやオフ会も頻繁に開催されているのでそこで先輩たちに聞いてもいい。なんてすばらしい環境!
でも、ここでもやる気が沸かない。売りたいものはそれなりにあるんだけど、それを写真に撮ってダウンロードして、アップして、購入希望者と連絡を取り合って、決済方法を確認して、発送して・・・なんだかすごく面倒に感じてしまって。一度やればいいんでしょうけど、その一歩がすすめない。リベ大の両学長はよく「とにくやってみなはれ」と言ってます。まさにそうなんでしょうけど、なかなかやる気がおきない。
これから長いであろう老後を考えると、月数万でいいから収入を確保すること、老後のやりがいや没頭できる趣味、そんなものを探そうとしている毎日です。
ここで副業を始めるのは良い選択だとは思うのですが、どうしたもんか、私のやる気がおきません。せっかく良いコミュニティに属してるわけだから会費分のモトは取らないともったいない。きっとこの暑さがいけないんでしょう。よし、涼しくなったら頑張ろう! 今日もまた、問題先送りです(笑)
老化の はじまり? 黒い靴下の山
靴下整理は面倒くさい
私は洗濯があまり好きではありません。特に洗濯物の取り込みと、畳んで所定の場所にしまうことを面倒だなと感じてしまいます。でもそこは主婦歴十数年。きちんと毎日洗濯をし、取り込んで、綺麗に畳んで、クローゼットや衣装ケースにしまってるんですけどね。
そんな私が最近、しまうのを後回しにしがちなのが主人と息子の靴下。
少し前までは息子の足は小さく、色柄物の靴下だったので、特に負担には思っていなかったのですが、最近足が大きくなり主人と同じサイズの靴下を履くようになりました。
主人は薄いペラッとしたビジネスソックスが嫌いで、綿100%の黒の靴下。
息子は学生服に合わせ、やっぱり綿100%の黒の靴下。
微妙な違いはあります。主人はワンポイント刺繍が入ってるのが多く、息子の靴下は大体が裏返っているとか。この少し大きめのはこの間スーパーの特売で買ったものだから息子の靴下だ、とか。
そうは言っても、やっぱり区別が難しいものが多い。
結局、洗濯物を取り込みながら、「これは主人のかなあ。」「こっちは息子のかなあ」と悩み、時間がないときは「後で分けよう」と思ってそのまま靴下だけ放置。
そうすると黒い靴下がだんだんとたまっていくわけです。
実家に出現した黒い靴下の山
一年ほど前に実家に行った時の話です。
和室の真ん中に靴下の山がありました。洗濯を終えて取り込んだ状態の靴下が大量に。色は紺や黒などの濃い色ばかりなので、黒い山です。「え!何コレ?」と思わず驚きの声をあげました。
父は家事をほとんどしないので、多分、これを作ったのは母。
でもその母は、数カ月前に痴呆症状がひどくなりグループ施設に入居してしまいました。父は毎日のように母のお見舞いに行ったりシルバー人材センターで請け負ったアルバイトに行ったりとそこそこ忙しくしてるせいか、あるいは気にならないのかわかりませんが、母がグループホームに入居してからずっと片づけていないようです。
父に和室にある靴下の山について聞くと「お母さんがやっててそのままにしてる。自分が履く靴下はその都度洗濯してるので、靴下山を放置していても特に困ってはいない」とのこと。
綺麗好きだった父だけにその返答にちょっとショックを受けた私ですが、まあ私が片付ければいいかと靴下の山を整理することにしました。
新聞入れの中から出てくる黒い靴下
早速、トランプの神経衰弱のように一対になるものを揃えていったのですが、片方しか見つからない靴下がたくさん残りました。
もう片方はどこへ行ったんだろうと何の気なしにテーブルを見たら、なんとテーブルの下にある新聞入れの中から はみ出ている靴下を発見! ちょっと周囲を見てみるとソファのかげにまた靴下を発見。もしやと思い、和室とリビングの家具の隙間や引き出しを開けていくと、出てくる出てくる黒い靴下。丸めるように畳んでいたり、隙間に押し込むように入れてあったり。驚いたのは母の化粧道具が入っている鏡台の引き出しからも出てきたこと。
とにかく不思議で仕方ありませんでしたが、その時はとりあえず集められるだけ集めて靴下を1足ずつまとめて、タンスに入れてきました。
黒い靴下の山は老化のはじまり?
あれから一年。私の前には小さな黒い靴下の山ができています。
「山」を作るつもりはなかったのですが、忙しかったり、洗濯物を取り込んだ時たまたま時間がなかったりして後回しをした結果です。息子から「お母さん、靴下ない!」と言われて ようやくこの山と向き合ったわけです。
これが息子の、こっちが主人の。あれ?これはやっぱりさっきの息子の靴下の片割れでは?など試行錯誤しながらセットになる靴下を探していきます。
洗濯物を取り込んだ夕暮れの部屋での作業。電気をつけるほどでもないと思いながら作業をしていたのですが、薄暗いこともあってどれも同じように見えてきます。「もうイヤ~」と投げ出したい気分。
そこでふと気づいたんです。母もこんな気持ちだったんじゃないかと。
高齢で視力も弱ってきた母には 靴下がどれも同じように見えたのかもしれません。色違い、柄違いの靴下をセットしては 父から「コレ違うよ」と言われこともあったことでしょう。苦手意識がたまっていき、靴下を片づけられなくなったのかもしれません。
あるいは既に痴呆症状が出ていた母には、靴下をそろえること自体難しくなっていたのかもしれません。視力低下、それを認知する機能の低下もあり、靴下は洗濯のたびに どんどんたまっていき、山を作っていく。山を作るのは良くないと思うからこそ、それを隠したい。そんなわけでタンスの隅とかに隠すようになったんじゃないかと思います。そして段々と痴呆症状がひどくなっていき、タンスだけでなくあらゆる家具の隙間や引き出しに入れるようになったのではないでしょうか。
この母の「隙間(すきま)に物を入れる」という行動は、他にも派生していくのですがそれはまた別の機会に。
とにもかくにも、「認知機能が衰えてくると靴下の山ができる」という結論に至ったわけです。
30年後、靴下の仕分けができるのか?
さて、私自身の話に戻ると、老眼や乱視の進行、硝子体剥離など視力の衰えを日々実感している今日この頃。
面倒だから後回しなんて言っていたら、そのうち本当に靴下を整理できなくなる日がくるかもしれません。
30年後は80歳代。今から靴下の仕分けを面倒に感じている私が、はたして30年後、問題なく靴下の仕分けをできているのか、ちょっと不安になります。
私にとっては靴下の山は老化の象徴。ついついなんでもめんどくさく感じてしまいますが、これからは意識して一つ一つを丁寧にこなしていくことが大切だと自分に言い聞かせたいと思います。
帯状疱疹 ~50代になると発症しやすいというのは本当だった
始まりはムズムズ、ヒリヒリした痛痒さ
最近、ネットで「50歳女性は帯状疱疹になりやすい」的な広告をよく目にするようになっていたんですが、コレ、本当でした。見事に帯状疱疹になりました(笑)
ある日、なんか右側のブラのアンダーバストのあたりが「気になるなぁ」と。きつく締めすぎたときのような、ムズ痒いような・・・そんな感じがしました。気になって何度も触ったり見てみたくなったり。こんなことが2日続いた後、そこが痛痒さに変化。
そこでもしやと思って、鏡でよ~く見てみたら、うっすらと赤いポツポツが。まだ輪郭がぼんやりとしていて「なんか赤いかな」くらいの5mm程度の発疹です。
これを見た瞬間、わかりました。帯状疱疹です。
2回目の帯状疱疹
実は私、20代の頃も帯状疱疹になったことがあるんです。当時は仕事が忙しく、毎日23時頃まで残業の日々。多分抵抗力が落ちていたんでしょうねえ。今回と同じ場所に帯状疱疹が発症しました。幸いなことに(?)仲の良い同僚が1年ほど前に帯状疱疹になっていて(どんなブラック企業ですか!)、初期症状を聞いていたのですぐに帯状疱疹だと気づくことができました。
「ヒリヒリした痛みで最初は何もないんだけど、少ししたら赤いポツポツが出るよ。そのあとどんどん広がって、メチャクチャ痛いの」
これがその時彼女から聞いた症状。赤いポツポツが5個くらい出てすぐに皮膚科クリニックへ行ったので、大事にならずにすみました。彼女には今でも感謝してます💛
皮膚科医師も驚く早さで受診
帯状疱疹だと確信した私はすぐに皮膚科へ行きました。先生は症状を聞き、うっすらと赤くなっている3個の発疹を見て、「本当はもう少ししないと診断は出せないんだけど、症状からして多分帯状疱疹ですね。今から治療を始めますか?」と言いました。
「ええ、ぜひお願いします」と力強くお願いしました。というのも帯状疱疹は治療開始が遅くなるほど、発疹が広がっていき、つまり痛みも広がっていき日常生活に支障をきたします。場合によっては神経痛や難聴などの後遺症が出ることもある怖い病気でもあります。ですので帯状疱疹かなと思ったらすぐに皮膚科を受診することをオススメします。
ま、こんな感じで初診を終えた私ですが、最後に先生がひとこと。
「2回目の帯状疱疹にかかる人、10%くらいしかいないのよね」
え?そうなんですか! 私、希少な10%の人だったんですね。こういうのは宝くじとかそういうので聞きたかったわ(笑)
痛い! 症状が軽くてもやっぱり痛い
抗ウィルス薬「レパミピド」とロキソニンが処方されました。本当は痛み止めはロキソニンじゃなくてカロナールが良かったんですが、品薄状態だそうです。
さて、帰宅して早速薬を飲み始めたんですが、帯状疱疹の方も症状がしっかりと出てきました。うっすらとした赤だったのが、はっきりとした赤いポツポツに変わり、翌日の朝見てみると、なんと発疹は7個に増加。痛みも「ヒリヒリ」から「ズキズキ」「ズキーン」とした痛みに変ってきました。これはツライ。
私は帯状疱疹の症状としてはかな~り軽い方のはずなんですが、それでもこの痛み。
痛み止めを飲めば気にならない程度にはなるのでまだいいですが、コレ、もっと症状が進んでる人は、本当に辛いと思います。
かつての私の同僚は忙しくて病院に行けずに放っておいたらしく、帯状疱疹がかなり広がってしまい、歩くのもままならず、結局会社を1週間近く休むことになったと言ってました。
抗ウィルス薬は1週間だけで、そのあとは経過観察です。痛みは3週間ほど続き、ほとんど痛みを感じないとき、ズキズキするときと波があるように感じました。
1か月経つともう赤い発疹もなく、痛みも消えて症状は治まりました。
3回目もある?ワクチン接種も検討必要かな
帯状疱疹は日本人なら9割の人が持っていると言われる水痘・帯状疱疹ウィルスが原因で、加齢、疲労、ストレスが原因で発症するようです。
私の場合はまず20代で1回目。それから30年たった現在、2回目。30年も経つと帯状疱疹に対する免疫力が落ちてしまうそうです(皮膚科医師談)。そうすると30年後の80歳になる頃にはまたかかりやすくなってるのかなぁ。
2度あることは3度あるとも言いますから、70歳くらいになったらワクチン接種の検討が必要かもしれません。あの痛みはもう味わいたくないです(><)
株主優待乗車が届きました
株主優待乗車って 知ってますか?
今年も株主優待乗車証が届き始めました。
各鉄道会社の決算が出揃い、そろそろ株主総会かというこの時期(5~6月)になると、株式を持っている鉄道会社から株主優待乗車証が送られてきます。金券ショップに行くとよく売っているアレです。
自宅に送られてくるのは優待乗車証のほか、グループ企業の優待利用券セットも送られてきます。
例えば東急の場合ですが、東急百貨店の10%割引券、東急ストア50円引き券20枚、東急系ホテルのレストラン10%割引券など。
株主優待乗車証は、1枚につき1回限りですがその鉄道会社の好きな区間を乗車できます。片道1枚、往復なら2枚必要です。
まあ、正直言って東急沿線に住んでいないとあまり使い勝手が良いとは言えませんが・・・。
私は最低限の株式しかもっていないので、優待乗車証は2枚だけですが、保有株式数によって優待乗車証が10枚、20枚、あるいは乗り放題のパスなんてものも用意されてます。このレベルになるとマンション購入金額くらいの資金が必要ですが(笑)
株式とのお付き合いは20年以上
私が株式購入を始めたのは今から20年以上前のこと。当時勤務していた会社では持株会(補助金を出すので社員みんなで自社株を買いましょう!的な制度)があって、ほぼ強制的に給与天引きされて毎月少しずつ株式を購入していました。その後退職するにあたり、証券口座に移す必要が出て、証券会社に口座を開いたのですが、これが私の株式デビューとなりました。
その後は持っていた株式を売って元金を作り、そのお金で細々と株式投資を行っていました。
「え!こんなに儲かっちゃった」と思う時もあれば、「マジ?マジですか?」と言いたくなる経験も何度かしました(笑)
一番儲かったのは30万くらいで購入したオイシックス(3182、現在はオイシックス・ラ・大地株式会社)で、購入後数か月で2倍の60万くらいになりました。
失敗したのは、「いきなりステーキ」。がっちりマンデーという番組で会社紹介があったのですが、すっかりその気になった私はすぐに「いきなりステーキ」の株式を購入。株主優待で年2回1000円分の食事券が付くのも魅力的でした。ですが、その後割とすぐに、無理な多店舗展開がアダとなり、株価は下落。購入時の半値以下となってしまいました(泣)
現在、鉄道株の割合い多めに保有していますが、これも考え物。コロナの影響は短期間で収束するとしても、少子化に加え通勤需要が減少してることを考えると、う~ん、どうなんだろう。もちろんこれを見越して随分と前から鉄道会社は多角化経営を目指してきてるけど、この辺は会社によって差がでてくるかもしれませんね。
ちなみに株価ですが7~8万購入時の価格より安くなっている時もありますし、5~6万高くなってる時もあります。鉄道株に関しては鉄オタな息子がいるので、しばらくは株価に関係なく長期保有を考えてますが、その後は要検討ですね。
自分にあった投資方法を見つける
株式投資との付き合い方は人それぞれだと思います。
①デイトレードを繰り返す「攻め」の投資、②インデックス投資をしながら20年30年単位でゆっくり蓄財、③多少のリスクは覚悟で株式売買を適度に行い楽しみながらする投資、④株主優待や配当金目当ての投資。
私は、最初は③のリスク覚悟で売買をしていました。と言っても数カ月、数年単位で考え、株価が下がってるときに買って、景気が上向いてきたときに売る、そんな投資をしてました。この時にオイシックス株を買って儲けたわけです。
現在は、インデックス投資がメイン
自分で色々と売買経験通をしてわかったことは、「私には向いていない」ということ。
そもそも財務諸表だってよく読めていないし、というか読もうとする気力がわかない、そんな私です。こんな人が株式投資やってるって結構キケンです。
それにこまめにチェックするのも面倒。ということで、毎月決まった額をコツコツと買い続けるインデックス投資をメインにすることにしました。
インデックス投資は大きくは儲からないけど、20年30年単位で見たときに手堅く利益を出してくれる投資手法です。但しこれは今までのことであって、未来もそうなるかというと こればっかりはわかりません。ちなみに投資内容は全世界株とS&P500の2種類で、毎月4万円ずつ購入してます。この投資手法については、Youtube大学の中田さんや、リベ大の両学長がわかりやすい動画をだしてるので、まだの人はぜひ参考にされればと思います。
20年後は70歳。私の資産状況がどうなってるかちょっと楽しみです。
気づけば、子育て終了5秒前
あと何回一緒に 外食できるのか
先日、家族そろって中華料理を食べに行きました。突然決まった話なので、当日の夕方、学校にいる高校生の息子にLINEで連絡。放課後になっていたせいかすぐに返信があり、現地集合するとのこと。主人と義親の私たち大人組の方が早くついたので 先にビールとおつまみを注文して息子の到着を飲みながら待っていました。
すると息子から「油淋鶏(ユーリンチー)と酢豚、注文しといて。」と連絡あり。位置情報アプリを見ると、もう最寄り駅に到着していました。急いで2品を注文したんですが、その時、ふと「こんな風に息子と外食できるのは、あと何回あるんだろう?」と思いました。
到着した息子は、もう主人と同じくらいの背丈。子供の成長なんてあっという間ですね。
人生で一番長かった一年
もし「人生で一番長かった一年はいつ?」と聞かれれば、私は迷わず息子が生まれてから1歳になるまでの一年と答えます。それほどあの一年は長く感じました。毎日が新しいことの連続でしたし、抱っこして、おむつを替えて、母乳を与えて、また抱っこして、お散歩して、沐浴して・・・とやることは盛りだくさん。昼寝をするヒマもありませんでした(笑)。まとまって眠れないし、風邪を引いてもママ業を休むわけにはいかないし、わからないことも多く心配になったりと不安になったりと大変でしたが、それ以上にたくさんの幸せを感じました。泣いても愚図っても怒っても、何をしていても100%かわいい。こんなにかわいい赤ちゃんが自分の子供なんて信じられない!とよく思ったものでした。それほどに幸せな一年でした。
子供の成長は早く 気づけば高校生
そんな幸せな子育ても、1歳を過ぎて離乳食バトル(と私は勝手に命名)が始まると、やさしいだけのお母さんではいられらくなりました。主人は仕事で忙しく、主人の親も私の親も遠距離だったので、子育てはほぼ私1人。家に閉じこもっていると良くないと思い、毎日のようにお出かけをしていました。この頃の記憶はベビーカーを押して散歩してるか、ごはんを食べてる記憶ばかり^^
そんな息子が幼稚園に通い始めた時は、数年ぶりに一人きりのまとまった時間を持てたことに感激。初めての自由時間を得た私は美容室と図書館に行ったのを覚えています。
この頃から私の時間に対する感覚はスピードUPしていきます。幼稚園の3年、小学校の6年。当時は長いと思いましたが、振り返ってみればあっという間。そして中学。「あれ?もう卒業?」それが偽らざる感想。そして今、高校1年生。本当に早いものです。
子育て終了5秒前
現在高校生の息子。
高校3年と大学4年、もしかしたら社会人になっても数年は自宅通いかな?じゃあ、あと10年くらいしか一緒にいられないんだと思ったら急に息子との時間が愛おしくなってきました。
そ・れ・な・の・に、
なんと、「北海道の大学を受験したい!」と。
北海道と言えば当然、自宅から通える距離ではなく一人暮らしになることは決定。
ええ~!!お母さん、心の準備、全くできてないよ。あと3年。いや実質あと2年半しか、一緒にいられないワケ?? もう大ショック。
そう、私の子育ては終了まであと5秒というところにきていたのです。
まあ、私自身、18歳で親元を離れたので仕方ないか。子供はいつか育っていくもの。これからの数年をしっかりと味わっていこうではないかと決意する 今日この頃です。